目次
1現代風俗帳
- 1-1
- 皇居前広場
- 1-2
- ストリップ・ショウ
- 1-3
- 競輪
2私の東京
- 2-1
- マドモアゼル五月
- 2-2
- 三十間堀
- 2-3
- 不忍池
- 2-4
- 夜間野球
- 2-5
- 両国界隈
- 2-6
- うつしゑ
- 2-7
- 名人会
- 2-8
- 酉のまち・歳の市
- 2-9
- クリスマス
- 2-10
- 忘れられた側面
- 2-11
- 浅草新景
3?東襍記
- 3-1
- ?東新景
- 3-2
- ?東餘話
- 3-3
- 玉の井の窓
- 3-4
- その頃
4美人變遷史
- 4-0
- 美人變遷史
5ハイカラ考
- 5-1
- ハイカラといふこと
- 5-2
- モダンということ
- 5-3
- 猿真似
- 5-4
- アロハしやつ
6幕間
- 6-1
- 役者の顔
- 6-2
- 幸四郎丈逝く
- 6-3
- 六代目追憶
- 6-4
- 菊五郎の芝居に装置をした時
- 6-5
- 菊五郎・三津五郎・嘉美
- 6-6
- 牡丹燈籠
- 6-7
- 近ごろの舞台装置
- 6-8
- 歌舞伎改名談義
7貴塵館記
- 7-1
- 星移る
- 7-2
- 葉越しの月
- 7-3
- 風
- 7-4
- 秋來
- 7-5
- 秋祭り
- 7-6
- 逆
- 7-7
- 私の温泉
- 7-8
- 塾
- 7-9
- 猫の死
- 7-10
- ソップ
- 7-11
- ラマ佛
- 7-12
- 白足袋
- 7-13
- 顔
- 7-14
- 髷
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私の東京
不忍池
不忍池
廣重の江戸百景で見ると、上野は、清水堂からかけて、当時「月の松」と呼んだその枝ぶりの大きく輪になつた松を通して、青々と不忍池を見下ろす景にかいてあるが、これはちようど今の地形でいうと、清水堂の前の、まつすぐ弁天堂へと下りて行く石段のあたり、あの辺からの俯瞰図になるようである。実は先日、わざと、そこへ行つて見て来た。するとちようどそこに、十歳にはならない男の子を連れたカイキン姿の父親がいて、弁天様の屋根を指さしながら、男の子に、あれはお池の中にあつたのだよ、あすこがみんな水だつた……と言い聞かせていた。子供はエ? どこ? どこ、とふに落もない様子だつた。―そこからは、現在の状態では、全く不忍池の「水」は見えない。
あの池の「埋立て騒ぎ」は今に初まることではなく、数々の文献に明らかなようにいわゆる「毎度の御難」だが、明治三、四年の廟議では、すんでに「無用ノ長物」たる上野の「山」を平らにしてその土で「池」を埋め、双方を茶畑にして一挙両得し「開化文明ノ旨趣ニ添ハント」したことがあつたのを、英国のパークス公使に一喝されて、さた止みとなつた活歴がある。パークスは「スペテ由緒アル旧物ヲ破毀スルハ蛮民ノナストコロ」といつたそうである。
上野という名は、そのはじめ藤堂和泉守が領国の伊賀上野に似ているというところからここを名づけた名ということだが、一体にあの辺を元は忍が岡と呼んで、これに対する忍ばずの池というわけで、池の名があとがら出来たということである。歴史なり時勢の放が訓えるように―この池もその昔から見ればずんずん小さくなつて来ている―旧物が次第に「時」につれて変化することは、それが自然ではあつても、いきなり東京各区の名がずらりと変つたり、三十間堀が遂に文字通り百年目に出逢つて全然間数も堀も無い砂利ほこりに変ぼうしたり……過ぎたことは止むを得ないにせよ、往年、辨慶橋の風致を抜打に取壊そうとして、たちまちゴウゴウたる反対の声に、当局はミソを付けたことがあつだ。今不忍池の処置についても、軽忽を再演することは、極力避けなければならないこと、いうまでもない。一体土地には、ややもすると何かしら、何々殺しとか、何の怪異とか、イヤな思い出の一つ二つは必ずあるものを、不忍池に限つて、そんな暗い影は一つも無い、見事にハスの花の咲いた、重代の東京名所である。
近ごろ明治の洋画壇の先覚に当る高橋由一の珍らしい作品が発見されたのを見ると、これがたつぷりと水をたたえた不忍池を描いたもので、わが国洋画の恩師に相当するフォンタネージの遺作にも、不忍池は主要作となつている。わが田へ水を引く強弁ではなく、絵かきの眼は、美しさを発見するについて常に敏感なものである。昔から江戸・東京の好景を写したものの絵には、古くは寛政の司馬江漢をはじめとして、廣重、清親、安治……何れも東京を描いて不忍池の水趣を逸するものは無い。そしていうまでもなく、不忍池は「東京の」不忍池であると同時に「日本の」不忍池である。十分愛惜してこの処置に当つて貰いたい。(二目・八・一九 東日)