目次
1現代風俗帳
- 1-1
- 皇居前広場
- 1-2
- ストリップ・ショウ
- 1-3
- 競輪
2私の東京
- 2-1
- マドモアゼル五月
- 2-2
- 三十間堀
- 2-3
- 不忍池
- 2-4
- 夜間野球
- 2-5
- 両国界隈
- 2-6
- うつしゑ
- 2-7
- 名人会
- 2-8
- 酉のまち・歳の市
- 2-9
- クリスマス
- 2-10
- 忘れられた側面
- 2-11
- 浅草新景
3?東襍記
- 3-1
- ?東新景
- 3-2
- ?東餘話
- 3-3
- 玉の井の窓
- 3-4
- その頃
4美人變遷史
- 4-0
- 美人變遷史
5ハイカラ考
- 5-1
- ハイカラといふこと
- 5-2
- モダンということ
- 5-3
- 猿真似
- 5-4
- アロハしやつ
6幕間
- 6-1
- 役者の顔
- 6-2
- 幸四郎丈逝く
- 6-3
- 六代目追憶
- 6-4
- 菊五郎の芝居に装置をした時
- 6-5
- 菊五郎・三津五郎・嘉美
- 6-6
- 牡丹燈籠
- 6-7
- 近ごろの舞台装置
- 6-8
- 歌舞伎改名談義
7貴塵館記
- 7-1
- 星移る
- 7-2
- 葉越しの月
- 7-3
- 風
- 7-4
- 秋來
- 7-5
- 秋祭り
- 7-6
- 逆
- 7-7
- 私の温泉
- 7-8
- 塾
- 7-9
- 猫の死
- 7-10
- ソップ
- 7-11
- ラマ佛
- 7-12
- 白足袋
- 7-13
- 顔
- 7-14
- 髷
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ハイカラ考
猿真似
風俗が男女共に相当大きく変動して、アメリカナイズされることは当然だ。だが、遂にこの夏(二三年)は街に范濫したアロハ姿に至つて、如何にも被占領治下の観があつた。今年あたりのアロハはまだ全然板につかず、猿真似の言葉通りのものだつたが、二、三年もするとアロハも何とかこの土地の風に染むかと思われる。総じて日本は今あわれな有様であるが、それにつけても思い合わされるのは、日本人のものの受入態勢についてカンが早く、またそのそしやく消化も早いといわれる一得一失のことで「失」の方からいえば、これ程「占領」して手のかからない、よくいうことを聞いて、喜々としてアベックもすれば接ぷんもする「猿」は無いであろう。
防暑服という、軍人達の南方の見残した夢の形見のようなものだつた服装が、にわかに街にあふれたのは、昭和十六、七年のことだつたが、丁度これも初めは今のアロハと同じく、そのころ情報局あたりへ行くと、肩に肩章のある短衣で、毛ずねを出して、情報官というものどもが、われわれに絵具の使用制限までしたものだつた。そしてそのころの「防暑服」は、獄卒のユニフォームとはいえても、やはり日本人全体に似合いの夏衣装とは思えなかつたものが、近ごろでは、段々と裁断法も変つて、ひざッ小骨や毛ずねは一たん人前で出していいとなればたちまちモードとなり、最近の夏の防暑服は、やがて旧の「浴衣」に代るところの、簡便でスマートな男の夏衣には見えても、ぶざまなものではない。
似合わしからぬものでもない―それは日本人の好みや体格に添えてキレ地や裁断が順応したからである。その証拠には、今時肩章のついた南方そのままの服を着ているものは、却つて数える程であろう。
アロハシャツも、今年あたりはまだアンチャン達の猿真似に過ぎなかつたものが、いつキレ地が改正され、裁断が工夫されて、またちよつと小意気な、夏の景物とならないものでもない。
われわれ「日本人」は、この点、外物移入にかけて、古来天りんの達者だ……。
しかしいずれ真冬が来ようとするにつけても思うのは、猿真似、結構ながら、今の日本で、女の寒中の露出したストッキング姿は、真似も過ぎはしないか。簡単にいつて寒過ぎて、不衛生だろう。これは是非冬の洋装には毛織もののズボンをはくべきである。
「美観」がなければ一体服飾は成立たないものながら、その服飾美観は、基くところ、その土地土地の気候、人々の体格、好み等々、これに適合しなければ、発生しない。
猿真似は進歩創造の「階梯」として古来結構だつたが、真似だけでこの国の「美観」になつたものは一つもない。(昭和二十三年稿)
附 その後世態も落付くと共にモク(例へば綿織物等)の出廻りも自由豊富となるにつれて「風俗」も再変した。講和に追付いてその使節達のエチケットなども論議されるにつれて、それが自づから「風俗」に響くところも無いとは云へない。今年(昭和二十六年)の夏は、男の毛ずね露はに半シャツの所謂「防暑服」スタイルは、殆ど影を潜めたと云つてよい。女の冬姿(洋装)も三年前の基準では行かない。
その「現象」を一言ここに付け加へておくわけである。
二十六年九月一日附朝日新聞の「天声人語」に「夏も終つた。残暑はなおきびしいが、さすがに虫の音もしげく、朝夕は涼しくなつた。夜明などにははだ寒を覚えることもある。夏時刻も八日限りでサヨナラとなる。この夏は老幼男女みな服装がよくなつた。ツギのあたつたシャツを着ている者などはほとんど見かけない。清潔でさえあれば丹念にツギをしたシャツはかえつて奥ゆかしいくらいで恥ずかしいはずもないのだが、やはり気がひけた。それほど周り全休がよくなつた。半パンツは、戦時から去年まで十年間も男の夏姿をふうびしたが、ことしは影をひそめた。色さまざまな替ズボンのバリッとしたのをはいてしる。帽子もクツも頭から足まで一通りそろい、電車の網ダナにのせた革カバンもスリが目移りするほど立派になつた。おしなべて安サラリーマンまで服装も一応行渡つた感じである。それがたとえ輸出不振による輸出流れのはんらんにせよ、輸入の誤算によるにせよ、人間らしい格好ができるようになつたのは結構である。……」と云つてある。―これはいつもモードの生きたバロメーターであるから、引用させて貰ふのであるが、成程、僕の見た「半パンツ」防暑服の初めも、天声人語子の云ふやうに「十年」となるだらう。築地小劇場再興について千田是也君が奔命して居られた頃、その千田君に初めて半パンツ姿を見たのであつたが、千田君なればこそ、当時モードの「先端を切つた」ものだつたらう。
アロハを僕の見たはじめは、逸名したが、戦争がはじまるについてハワイから帰つた人をその部屋着で見た。その人は多年ハワイにゐた人だつたが、僕の逢つた時、派手な黄色地のアロハを―僕に対して気がさすかのやうに時々手でさすつて見せながら、向ふでは誰でもコンナモノを部屋着に着ます、と云つた。(僕はその時まだ「アロハ」の名を知らなかつた)
―アロハはこの先きとも、恐らく衰れずに、云はゞ「日本風」にその裁断なり、色模様なり、変つて、夏衣裳の一つとなつて行くものではないかと思ふ。別に「競輪を見る」記事の中で触れたイキなアロ八姿は、その点の、示唆を与へるやうである。(二六・九)