目次
1現代風俗帳
- 1-1
- 皇居前広場
- 1-2
- ストリップ・ショウ
- 1-3
- 競輪
2私の東京
- 2-1
- マドモアゼル五月
- 2-2
- 三十間堀
- 2-3
- 不忍池
- 2-4
- 夜間野球
- 2-5
- 両国界隈
- 2-6
- うつしゑ
- 2-7
- 名人会
- 2-8
- 酉のまち・歳の市
- 2-9
- クリスマス
- 2-10
- 忘れられた側面
- 2-11
- 浅草新景
3?東襍記
- 3-1
- ?東新景
- 3-2
- ?東餘話
- 3-3
- 玉の井の窓
- 3-4
- その頃
4美人變遷史
- 4-0
- 美人變遷史
5ハイカラ考
- 5-1
- ハイカラといふこと
- 5-2
- モダンということ
- 5-3
- 猿真似
- 5-4
- アロハしやつ
6幕間
- 6-1
- 役者の顔
- 6-2
- 幸四郎丈逝く
- 6-3
- 六代目追憶
- 6-4
- 菊五郎の芝居に装置をした時
- 6-5
- 菊五郎・三津五郎・嘉美
- 6-6
- 牡丹燈籠
- 6-7
- 近ごろの舞台装置
- 6-8
- 歌舞伎改名談義
7貴塵館記
- 7-1
- 星移る
- 7-2
- 葉越しの月
- 7-3
- 風
- 7-4
- 秋來
- 7-5
- 秋祭り
- 7-6
- 逆
- 7-7
- 私の温泉
- 7-8
- 塾
- 7-9
- 猫の死
- 7-10
- ソップ
- 7-11
- ラマ佛
- 7-12
- 白足袋
- 7-13
- 顔
- 7-14
- 髷
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幕間
歌舞伎改名談義
行く雁や捨つるに惜しき芝翫の名
これは傘雨久保田氏の句ですが、近頃の劇壇風懐をつくしたと思います。歌右衛門という名は何か「大きやか」な感じはしますが「芝翫」の含蓄あるに及びません。あの仁の改名については私も傘雨作るところと全く同感です。
といつても改名をわるいというのではなく、勿論新歌右衛門をわるいというのではなく、新歌右衛門はあれだけのひとなればこそ、「捨つるに惜しき芝翫の名」をもう暫くのその仁に止どめおきたかつた気がするので……されば捨てられた芝翫の名は何処へどう行くものでしようか。劇壇のこの辺の事情はわかりませんし、「改名」ともあれば、この社会では劇場経営の方策なども合体してのことのようですから、妄りに外界の楠原臆測は許されません。めくら滅法のことをいえば、こんどは福助が新芝翫になればよいと思つています。
というのもまた、福助程のひむだから「捨つるに惜しき」芝翫の名になつて貰いたい、という程の意味です。
私がコドモから成人する頃にかけて―その頃の劇壇では、といいましよう―先ず「福助」の名は大した人気で、それから「芝翫」の名実は押しもぞされもせぬ木挽町の、金将のような光でした。成駒屋の先代は「歌右衛門」になつてから「委員長」となり、やがて「淀君」となり、「何々御殿」となつて、壽成り功遂げて浪しましたが、あの仁に対する懐しさも、芝翫の頃が花だつたと思う。
「改名」ということに返つていうと、全く歌舞伎世界での改名ということは、大袈裟にいえば、一つの神秘でもあるらしく(心理生活の神秘か)先代の頃おい、歌右衛門という一つの名跡をめぐつて西の鴈次郎と東の芝翫の襲名争いは、大したものだつたようです。これからも、時々現海老蔵にかけて風聞(つまり世論)は起る兆しが見える、といつても、「十世團十郎」の名跡が実現するについては、一波瀾、二波瀾の経緯ではすまないことでしよう。(ひとごとながら海老蔵は出汐の良い頃合いを計つて、團十郎になつてしまつた方が良い)宗十郎について外界からはわからぬ内輪のいざこざがあつたらしいのも、この社会の「神秘」を思えば、無理からぬことと察しられる。
現に、染五郎の新幸四郎における、もしほの勘三郎におけるなど、どうして名が代つてからああまで「役者」が上がったかと紆られるもののあるのは? 私のいう「神秘」がここに、この社会には改名についてリクツでいえぬ何かの魅力か力(起死回生力)かがあるのだろうと―思わざるを得ません。
戦争を境にして西へ行つてしまつた俳優の多い中に、私は―これは不取敢主観で云いますけれど、客観的にもそうではないかと思いながら―壽美蔵の壽海が東の人でなくなつたことを、どうも心惜しく思つています。あの仁は左團次の明治座にとつて大切な人だつたばかりでなく、明らかに東京劇壇にとつて、大切な人の一人だつたと思います。これもヘンなことをいえば西の「壽海」でおこうりは、元のまま東の「壽美蔵」でいて貰いたかつた。
思えば一人の「六代目菊五郎」という存在がなくなつてから、歌舞伎界のはかりの目方は、各方面に響きの多いことを思わせます。壽海に壽美蔵で東にいて貰いたかつたと思う等もその一つ、その後時蔵の赫々として大きくなつたのも将星堕ちてからの斯界の生きた現象―響きの一つと思われます。
人の歯並びは年が来て前歯の犬歯などが欠けると、自然と左右から歯列が寄つて来てそれまでの小さかつた歯も大きな役割を持つようになるとの事、俳優陣の序列もそんなものではないでしようか。
最近「友右衛門問題」というものは? これも妄りに外界からの臆測は許されない事柄のようですが、問題の人が求道好学の前途あるだけに、どうか「問題」の性質がその人にとつて良いことであつてくれ心と良いと思うのは、私だけではないでしよう。何はなくとも、舞台を失うという成行には立到らないと良いと思う。廣太郎の「名子役」以来檜舞台で折角苦労した芸道が、忽ち引いて、別世界の映画によく向くばかりのものかどうか。
それと同じ近頃のトピックで、今筆に上せたくなるのは、これも岡目八目ながら、前進座の事々です。長十郎といい、翫右衛門といい、これまた、良い「舞台」の人だつたものを……殊に長十郎にかけては、これぞ左團次の名跡が何処かで泣いているかの如く感じられるのは筆者のひが目か。その後新左團次ともなろう人は、長十郎がああした渦中になければ文句なしの跡目と思われ、この名家の名もまた、当分のところ、團十郎、宗十郎等々と等しく、あとへの手がかりがつきかねて、空転するもののように思われます。
結局、この書きものは、歌舞伎改名談義のようなこととなりました。(二六・五)